2009年06月18日

処方に際して特に副作用に注意すべきケース

妊婦および授乳婦: 胎児や乳児にまで続発的に影響が及ぶ。妊婦や授乳婦は一般に治験に参加せず、また市販後の有害事象も報告数は限られているため、安全性データはしばしば不十分。

高齢者は一般に代謝・排泄が低く、体液量が少なく、キャリア蛋白量が少ないことから医薬品の効果・副作用共に大きくなりやすい。

小児もまた代謝や排泄が未熟で、体重は少なく、医薬品に対する感受性が高く、キャリア蛋白量が少ないことから、体重に応じて投与量を調節しても副作用も大きくなることがある。

薬剤というものは多かれ少なかれ、広義の意味で副作用があり、「副作用のない薬剤はない」と言われている。 また、生体と物質との相互作用は複雑且つ多岐に渡るので、現在の薬学・医学の水準では、その全てが解明されているわけでもなく、投与した外来物質の作用を全て予測することが出来ているわけでもない。

副作用に関する責任問題を回避するため、日本のテレビやラジオでの医薬品(内服薬)のコマーシャルでは、「この薬は使用上の注意を守り、正しくお使い下さい。特にアレルギー体質の方は医師や薬剤師にご相談下さい」と表示、あるいは読み上げられ、テレビでは「アレルギー体質」の部分が赤色で強調されている。パッケージ内部の説明書には、同様にアレルギー体質者以外に、妊婦などを対象に医師や薬剤師に相談する旨の表示がされていることが多い。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

副作用の利用 [編集]
本来「副作用」とされていたものを「効能」と謳って商品化した薬剤としては、エスエス製薬から発売された睡眠改善薬「ドリエル」が挙げられる。鎮痒剤やアレルギー性鼻炎の治療薬(興和新薬の「レスタミン」、塩酸ジフェンヒドラミン)や乗り物酔いの予防薬(エーザイの「トラベルミン」、サリチル酸ジフェンヒドラミン)として用いられるジフェンヒドラミンの副作用として眠気が知られており、これらの薬剤には「服用後は車の運転など危険を伴う作業を行わないこと」との注意書きがされている。この本来は副作用だった眠気を、寝つきが悪いなどの症状を改善するために用いたのがドリエルである。

勃起不全薬のクエン酸シルデナフィル (商標名「バイアグラ」) も、元々は狭心症の治療薬として開発が進められていたものが、開発の過程で副作用としての勃起不全への効果が発見され、最終的には勃起不全薬として発売された経緯がある。

2009年06月01日

ワッツ暴動

ワッツ暴動(わっつぼうどう)とは、1965年8月11日にアメリカ合衆国のワッツ市(カリフォルニア州、現在はロサンゼルス市に吸収)で発生した暴動事件。

白人のハイウェイ・パトロールが、道路上を蛇行運転していた黒人男性を尋問。尋問した途端に周囲の黒人が集まって来て、検挙の一部始終を見守った。結局、ハイウェイ・パトロールは運転していた当人と弟・母親を逮捕。これを切っ掛けに暴動が発生し、警官の襲撃から市街地における集団略奪や放火へ発展。州兵を投入して鎮圧する事態にまで及んだが、暴動が続いた6日間で死者34人・負傷者1,032人を出し[1]、逮捕者は約4,000名にも及び、損害額は3,500万ドルにまで上った。
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ワッツの住民の実に99%を黒人が占めていたのに対し地域を担当していた警官には殆ど黒人がおらず[2]、地域住民の感情には黒人差別思想を持つ警察への不信感が根深かった。加えて失業率も高く高等教育を受けている住民も少なかったことから、一種のスラム街になっていたことなど地域住民の不平不満は高いものであった

ワッツの様に黒人居住地域がスラム街となっているのはアメリカ全域で見られたことであり、折からの公民権運動の高まりによる人種差別への反発[4]から同種の暴動は、この頃全土で発生[5]していた。政府も州も暴動の鎮圧には力を振るったものの、根本的な原因となった居住地域における生活改善や人種差別の解消[6]には更なる時間が必要となった。

暴動(ぼうどう riot)とは

多数の市民・民衆が集合的に暴行・脅迫・破壊などの暴力的な活動を行うことをいう。

基本的に、国家の制度組織を違法な手段を以って破壊して変革する目的を持った大規模かつ組織的な暴動を「内乱」と呼び、単に群集が何らかの対象に対して集団的な暴力・脅迫活動を行う暴動を「騒擾」と呼ぶ。

内乱が戦闘の形態となったら内戦となり、国家を代表する統治機関の政治権力を奪取することを目的とし且つ成功した場合はクーデター・革命と呼ばれる。
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多くは、議会や首長の投票や候補者の身の安全にかかわる問題、暗殺未遂などが派生して、なんらかの政治的要求ないしは経済的要求を標榜するが、指導者が不在であることが多いため体制側が警察・軍隊を出動させ鎮圧を図ることによって、急速に沈静化していくことが多い。

また、イベントなどでのトラブルなどにより、小規模ながら「暴動」が発生する場合もあるが、それが翌日にまで引き継がれる事は少ない。明確な指導者が不在であること(成り行きで起き、扇動者は不明に等しい)、参加者が多数であることなどのため、暴動を起こした(参加した)側の責任が厳しく追及されることはほとんどないのが実情である。

日本は諸外国に比べ、歴史的事情からか比較的暴動は起きにくいとされている。しかし、それは外見的な話であり地下鉄サリン事件をオウム真理教が引き起こした事に代表されるように暴動や革命を起こせるだけの組織は潜在的に存在し公安警察の監視対象となっている。日本の場合は「消極的なテロ」という形で表面化するのが、実情である。

なお日本国内では暴動を起こした場合、場合にもよるが、暴行罪・傷害罪・脅迫罪・器物損壊罪・現住建造物等放火罪・建造物侵入罪・騒乱罪・公務執行妨害罪などの罪に問われることになる。(内乱を起こした場合、内乱罪となる。)


スポーツにおける暴動 [編集]
スポーツ競技の試合においては、審判の判定や試合内容に対する不満などが原因となって観客が暴徒と化し、暴動に至るケースがみうけられる。

このようなケースは、海外においてはサッカーの試合において多く見られ、暴徒達はフーリガンと呼ばれる。日本においては、かつてはプロ野球(木戸美摸投手負傷事件など)や競馬(園田事件など)において暴動が発生するケースがあったが、近年はあまり見られない。

2009年04月28日

軍部隊(戦車2500両・15万人の歩兵部隊)が侵攻した

11月4日に新たなソビエト軍部隊(戦車2500両・15万人の歩兵部隊)が侵攻した[6]。11月10日に労働者評議会や学生・知識人たちが休戦を呼びかけるまで、ハンガリーの労働者階級はソビエト軍との戦闘で重要な役割を演じた。11月10日から12月19日の間、労働者評議会はソビエトの占領軍と直接交渉し、結果として何人かの政治犯の釈放はできたが、ソビエト軍を撤退させることはできなかった。加えて、ソビエト連邦に支援されたカーダール・ヤーノシュが新しい共産主義政府を組織し、1956年以降ハンガリーを統治していくこととなった。散発的な武力抵抗やストライキは1957年の中頃まで続いた。一方でナジはユーゴスラビア大使館に避難したが、安全確保を保障されて大使館を出たところをソ連軍に捕まり、ルーマニアに連行されて2年後に処刑されたほか、政権の閣僚や評議会を指導していた多くの市民がカーダール政府によって処刑された。1960年代に発表されたCIAの推定によると、およそ
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1200人が処刑。このとき逮捕された政治囚は1963年までにカーダール政府によってほとんどが釈放された。この一連の戦闘の結果として、ハンガリー側では死者が17000人に上り、20万人が難民となって亡命したソビエト側も1900人の犠牲者を出した。

ハンガリー事件についての歴史的・政治的意味については、当時の体制の位置づけや民衆による蜂起の意義に関して、今もなお様々な見解がある。以下に、革命の性質についての主要な見方を列挙する。

2009年04月13日

彭寵

彭 寵(ほう ちょう、? - 29年)は、中国の新代から後漢時代初期にかけての武将。字は伯通。荊州南陽郡宛県の人。父は彭宏。弟は彭純。子は彭午。従弟は子后蘭卿。父の彭宏は、哀帝時代の漁陽太守で、優れた容姿を持ち、大食漢、大酒飲みで、北方の辺境で威光と人望があった。しかし、王莽が摂政となった際に、彭宏は王莽に味方しようとしなかったため、何武、鮑宣と共に誅殺されてしまっている。

理財の達人
王莽や光武帝に仕えた武将で、後に北方で独立勢力として自立した人物である。彭寵は、若くして郡吏となり、地皇年間には大司空士として大司空王邑に属し、劉秀らの反新軍を迎撃することになった。ところが、洛陽に到着したとき、彭寵は自分の実の弟が反新軍に加わっていることを知る。誅殺されることを恐れた彭寵は、同郷の呉漢と共に、父の彭宏が太守を務めていた漁陽へ逃れた。

更始1年(23年)、劉玄が更始帝として即位すると、北方の幽州、并州の人士を取り込むために、謁者韓鴻を派遣する。韓鴻は、彭寵や呉漢とは同郷にして古くからの知人であったため、韓鴻が薊に到着すると、彭寵らは韓鴻を大歓迎した。これにより彭寵は偏将軍兼漁陽太守、呉漢は安楽県令に任命されている。

その後、河北鎮撫のために劉秀(後の光武帝)が到来すると、劉秀は彭寵に書面を送って招聘し、彭寵もこれに応じようとしてる。まもなく、王郎が天子を自称して河北で挙兵すると、その檄が北方各地に伝えられ、多くの有力者が王郎に付こうとした。しかし彭寵は、呉漢の説得等もあって、上谷太守耿況と共に、劉秀の支援を決断する。彭寵は、呉漢に長史(太守次官)を兼ねさせ、都尉厳宣、護軍蓋延、狐奴県令王梁に歩兵・騎兵3千を率いさせ、劉秀の下に派遣した。これにより彭寵自身は、劉秀から建忠侯に封じられ、大将軍に任命されている。

なお、この時の彭寵は軍略よりもむしろ理財に辣腕を発揮した。彭寵の後方支援により、王郎討伐において劉秀軍への補給は途絶えることがなく、その貢献は計り知れないものがあった。

朱浮との対立 [編集]
大功のあった彭寵だったが、それを鼻にかけて次第に傲慢な態度が目立ち始める。また、建武1年(25年)に劉秀が皇帝(=光武帝)として即位した際に、部下にあたる呉漢や王梁が三公に任命されたにもかかわらず、彭寵には何も沙汰がなかったため、彭寵は激しく不満を募らせるようになった。その一方で、漁陽郡他の監察役に当たる幽州牧朱浮が城蔵を開いて貧者に食料を与えようと州内に命じ、彭寵は戦時中であるので城蔵を開いてはならないと抗ったことから、幽州の統治方針を巡って朱浮と彭寵は激しく対立することになった。しかも朱浮は、光武帝に対してしばしば彭寵を讒言した。これを知った彭寵は、ますます朱浮への不満・憎悪を募らせた。

建武2年(26年)春、光武帝は詔を下して彭寵を召し寄せたが、朱浮が自分を讒言していると思った彭寵は、朱浮を共に召還して欲しいと光武帝に願った。また、彭寵は、朱浮が自分を陥れようとしていると、元部下の呉漢や蓋延に手紙を送って訴えている。しかし結局、光武帝は朱浮の召還は認めず、彭寵は益々疑心暗鬼に陥った。結局彭寵は、やはり朱浮に反感を抱いていた妻や部下の勧めに従って、召還に応じないことにする。なお光武帝の方は、朱浮から彭寵が不満を抱いているという話を聞いても、それを笑って受け流していた。

謀反と最期 [編集]
光武帝は、彭寵を宥めるため、その人質とされていた従弟の子后蘭卿を送り返したが、彭寵は子后蘭卿を自軍に留め、ついに光武帝に叛旗を翻し、薊県に駐留する朱浮を攻撃する。この時、彭寵は上谷太守耿況も味方に誘ったが、耿況はその使者を斬って拒否している。彭寵は、光武帝が派遣した遊撃将軍鄧隆の軍を撃破し、さらに朱浮をも撃ち破って、薊を占領し、燕王を自称した。また彭寵は、匈奴単于に貢物を贈ってその支援を受け、斉の張歩や富平軍、獲索軍(北方の地方軍)とも同盟し、一大勢力を築いたのである。

建武4年(28年)、彭寵とその弟彭純は、匈奴の軍勢とともに二手に分かれ、涿郡に駐屯する漢軍(良郷の祭遵軍・陽郷の劉喜軍)を攻撃し、匈奴の騎兵は軍都(広陽郡)を通過した。しかし、復胡将軍耿舒に邀撃され、匈奴の2王が斬られ、彭寵は敗走した。さらに、追撃してきた耿舒とその父耿況に軍都を奪還されている。

建武5年(29年)春、彭寵とその妻は、奴僕の子密に自宅で暗殺され、2人の首級は光武帝に差し出された。この件については、以下のような逸話が残されている。ある時、彭寵の妻が何日にも渡って悪夢でうなされることがあったため、占師たちに見てもらうと、誰もが、これは謀反が起きる兆しである、と述べた。すると彭寵は、光武帝の下から戻ってきた子后蘭卿をまっさきに疑い、また兵を自身の傍らではなくその外に置くようになった。その結果、子密による暗殺が生じた。

子の彭午が燕王として後継したが、彭午もまた部下の国師韓利に殺害されてしまい、彭寵の宗族はことごとく処刑された。

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2009年03月29日

父 朱世珍

父母 [編集]
父 朱世珍(元の名(排行での呼び方)は朱五四、後に仁祖淳皇帝とされる)
母 陳氏(後に淳皇后とされる)

后妃 [編集]
皇后 孝慈高皇后馬氏
成穆貴妃
淑妃
寧妃

子 [編集]

朱標、後の懿文太子、母は馬皇后
朱?(木偏 + 爽 zh:朱?)、後の秦愍王、母は馬皇后
朱棡、後の晋恭王、母は馬皇后
朱棣、後の燕王、永楽帝、母は馬皇后
朱?(木偏 + 粛 zh:朱?)、後の周定王、母は馬皇后
朱楨、後の楚昭王、母は胡充妃
朱榑、後の斉王(木偏 + 専)、母は達定妃(永楽年間に廃されて庶人となる)
朱梓、後の潭王(洪武年間自焚死)、母は達定妃
朱杞、後の趙王(幼殤)、母は不明
朱檀、後の魯荒王、母は郭寧妃
朱椿、後の蜀献王、母は郭惠妃
朱柏、後の湘献王、母は胡順妃
朱桂、後の代簡王、母は郭惠妃
朱?(木偏 + 央)、後の粛庄王、母は郜氏
朱植、後の遼簡王、母は韓妃
朱栴、後の慶靖王、母は余妃
朱権、後の寧献王、母は楊妃
朱楩、後の岷庄王、母は周妃
朱?(木偏 + 惠)、後の谷王、母は郭惠妃(永楽年間に廃されて庶人となる)
朱松、後の韓憲王、母は周妃
朱模、後の瀋簡王、母は趙貴妃
朱楹、後の安惠王、母は不明
朱桱、後の唐定王、母は李賢妃
朱棟、後の郢靖王、母は劉惠妃
朱?(木偏 + 彝)、後の伊暦王、母は葛麗妃
朱楠、母は不明
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

女 [編集]
臨安公主
寧国公主
崇寧公主
安慶公主
汝寧公主
懐慶公主
大名公主
福清公主
寿春公主
十公主
南康公主
永嘉公主
十三公主
含山公主
汝陽公主
宝慶公主
福成公主
慶陽公主

家臣 [編集]

定遠攻略(1353年)に参加した24将 [編集]
徐達、湯和、費聚、呉良、呉楨、花雲、陳徳、顧時、耿再成、耿炳文、唐勝宗、陸仲亨、華雲龍、鄭遇春、郭興、郭英、胡海、張龍、陳桓、謝成、李新材、張赫、周銓、周徳興[2]

明の建国時(1368年)に重職を与えられた者 [編集]
李善長、徐達、常遇春、馮宗異、胡廷端、廖永忠、李伯升、趙庸、王溥、楊憲、傅瓛、康茂才、張興祖、顧時、孫興祖、呉楨、耿炳文、鄧愈、湯和、劉基、章溢、文原吉、範顕祖[3]

洪武2年(1369年)の叙勲 [編集]
公爵:李善長、徐達、李文忠、馮勝、鄧愈、常茂。

侯爵:湯和、唐勝宗、陸仲亨、周徳興、華雲龍、顧時、耿炳文、陳徳、郭子興、王志、鄭遇春、費聚、呉良、呉楨、趙庸、廖永忠、兪通源、華高、楊璟、康鐸、硃亮祖、傅友徳、胡美、韓政、黄彬、曹良臣、梅思祖、陸聚[4]。

洪武9年(1376年)に認定された功臣 [編集]
徐達、常遇春、李文忠、鄧愈、湯和、沐英、兪通海、張徳勝、胡大海、趙得勝、耿再成、桑世傑[5]

功臣として太祖廟に祀られた者 [編集]
徐達、常遇春、李文忠、鄧愈、湯和、沐英、胡大海、趙徳勝、華高、兪通海、呉良、曹良臣、呉復、孫興祖、馮国用、耿再成、丁?興、張徳勝、呉楨、康茂才、茅成[6]

その他の家臣 [編集]
邵栄、胡惟庸、宋濂、藍玉、陶安、張昶、謝再興

人物・逸話 [編集]
洪武帝の死後、孫の朱允炆が即位して建文帝となった。洪武帝は孫のために万全の策を尽くしたと思ったのであろうが、翌年には靖難の変で建文帝と息子の朱棣が戦うことになる。洪武帝は家臣には異常な程猜疑の目を向けたが、自分の家族は全面的に信じ、大きな兵を預けたままであった(若い頃に家族を失い、孤児となった記憶から家族を強く愛し、疑わなかったのであろう)。戦術に長けていた功臣は既に殺し尽くされていたので、建文帝軍は二流の将軍しか持たず、結局建文帝は敗死した。
現代に残っている洪武帝の肖像画には2種類が知られている。一方はいかにも君子然とした温和そうな老人であり、もう一つはねじくれた顔をした醜い人相のものである。後者が実像で、前者は画家に粉飾させたものと推察される。豊臣秀吉にも似たような話があるが、洪武帝の場合本人の二重性格を表しているとの指摘もある。また逆に、前者が実像で、後者のほうが粉飾であるという異説もある。暗殺を恐れて、あえて醜悪な顔であると広めたという説である。
文字の獄のような政策は政治上の必要から行われたこともあったろうが、その基盤となったのは洪武帝の文人や商人に対する不信感、あるいは憎悪によるものでもあったであろう。少年時代の極貧生活の記憶が常に洪武帝の頭の中にあった。文人や功臣を大量に殺す一方で肉刑を禁ずる布告を出したり、治水工事を熱心に行うなど農民に対しては常に心を砕き、恤れみの心を持っていた。清の趙翼は朱元璋の事を「一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物」と評している。日本のモンゴル史家杉山正明は、「時流に乗っただけの幸運な人・配下を殺し尽くした悪の権化」と評している。
洪武帝と永楽帝が中国における皇帝の独裁を確立したと言われている。洪武帝は重農主義と民族主義を基調として国を作ったが、永楽帝によって全て覆され、その後の明は洪武帝の方針と永楽帝の方針の間で揺れ動くことになる。なお近年では、洪武帝の重農主義を彼個人の性格と並んで、長年の戦乱で貨幣体系が崩壊して一時的な自然経済への回帰現象の中で発生したという側面を指摘する歴史学者もいる。

現代中国への影響 [編集]
孫文が辛亥革命を起こして清を打倒し、中華民国を建国した後に朱元璋の陵を訪れ、漢民族の国家の復活を報告している。
中華人民共和国を建国した毛沢東は昔の帝王に関心が深く、朱元璋についてもかなり意識していた。1973年には朱元璋の雌伏時の計「高築牆、広積糧、緩称王」を参考に「深挖洞、広積糧、不称覇」という大号令を発している[7]。

朱元璋を題材にした映画 [編集]
『デブゴンの太閤記』(1980年代 香港映画)=主演:サモ・ハン・キンポー

2009年03月13日

レーゲンスブルクの旧市街

レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフは、2006年の第30回世界遺産委員会で登録されたドイツの世界遺産。古代ローマ時代にカストラ・レギーナ(Castra Regina,レーゲン川沿いの要塞)として成立したレーゲンスブルクは、ドナウ川とレーゲン川の合流点に位置する交通の要衝として、特に中世には一大交易地として栄えた。世界遺産では、当時の姿を伝えるドナウ南岸の旧市街と、対岸のシュタットアムホーフにある旧聖カタリナ慈善病院が登録された。

世界遺産登録にかかわる中世・近世の歴史を概観する。通史についてはレーゲンスブルクの歴史を参照のこと。

1245年にレーゲンスブルクは帝国自由都市となり、中世後期に交易路が変わるまで、交易の中心地だった。1486年には、レーゲンスブルクがバイエルン公国に組み込まれたが、1496年には神聖ローマ帝国によってその独立性が回復された。

1542年にはレーゲンスブルクは宗教改革を受け入れたので、1803年にカール・フォン・ダールベルクのもとでレーゲンスブルク公国(Principality of Regensburg)に組み込まれるまで、市議会はルター派だった。市民の少数派はローマ・カトリックにとどまったが、市民権(Bürgerrecht)は剥奪されていた。とはいえ、レーゲンスブルク市とレーゲンスブルク司教職は混同してはならない。市は宗教改革を受け入れてはいたが、ローマ教会の司教座でありつづけ、修道院も複数存在していた。聖エメラム修道院、ニーダーミュンスター修道院、オーバーミュンスター修道院は、神聖ローマ帝国内で地位を認められていたので、帝国議会に議席と投票権を持っていた。この結果、レーゲンスブルクの町には、プロテスタントの町そのもの、ローマ教会の司教座、上記3修道院という5つの独立した"states"が並存するという独特の状況になった。

1663年から1806年には、都市は神聖ローマ帝国議会が常設された。かくしてレーゲンスブルクは帝国の中心的都市のひとつとなり、多くの訪問者でにぎわった。
フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

旧市街 [編集]
レーゲンスブルク大聖堂(Dom)は、純粋なドイツゴシック建築のすぐれた例証であり、バイエルン州の代表的なゴシック建築とも言える。着工は1275年のことだったが、尖塔以外が完成したのは1634年のことで、尖塔の完成は実に1869年のことだった。内装には多くの趣深い品々が残り、中にはペーター・フィッシャー(Peter Vischer)の傑作も含まれる。回廊に隣接する形で2つの礼拝堂が現存するが、それらは大聖堂本体よりも古く、旧大聖堂として知られる一方はおそらく8世紀にまで遡ると考えられている。レーゲンスブルク大聖堂(聖ペテロ大聖堂)の公式な聖歌隊席が有名なRegensburger Domspatzenである。
石橋(Steinerne Brücke)は、1135年から1146年に架けられた橋で、中世橋梁建築の中でも白眉といえるもののひとつである。第二次十字軍と第三次十字軍の騎士たちは、聖地エルサレムに向けた行軍の際に、ドナウ川に架かるこの橋を渡った。
聖ウルリヒ教区教会は、13世紀の過渡期的な建築様式の優れた例証で、貴重な骨董品のコレクションを含んでいる。現在は、宗教芸術などを扱った聖ウルリヒ司教区博物館が入っている。
市庁舎は14世紀にまで遡る部分が現存する。かつて1663年から1806年までは帝国議会が置かれていた。
黄金十字の宿屋(Gasthof zum Goldenen Kreuz)は、神聖ローマ皇帝カール5世がドン・フアン・デ・アウストリアの母にあたるバルバラ・ブロムベルクと知り合った場所である。また、1630年には、ヨハネス・ケプラーがこの地で臨終を迎えた。

2009年02月25日

真なる太陽系

星詠み号(フォーチュナーごう)
1940年、“真なる太陽系”で当時最高の部品を搭載し、法の精霊石“テ・オ・カロア”を魔法力源として製造された涙滴型宇宙船。その形状は、ラッキョやマヨネーズ容器などと揶揄される。全長23.2m、最大径8.0m。本気で使えば月をも破壊する精霊砲(アーソナーガン)を搭載し、エーテルリアクターを推進機として15日で太陽系を横断するほどのスピードを発揮する。50年経った今でも太陽系最高クラスの性能を誇る。自我を持っており会話もできる。元々はロジャーの愛機で恒星高校のグラウンドに封印されていたが、ロジャーの遺言により封印は解かれ十字に受け継がれる。『キャプテン・フューチャー』シリーズに登場する、キャプテン・フューチャーの愛機コメット号のパロディ。
黒竜号(コクリュウごう)
紅竜が打倒星詠み号を目的として開発した小型宇宙船。誘拐してきた一流の技術者と、恒星高校の運営費を横領した資金で製造された。外装は星詠み号を模しているが、技術者たちには「凶悪なデザイン」と言われた。重力制御エンジンを備えているものの、短時間で作動臨界を迎え自爆するなど試作機故の問題点は多い。30mm機関砲、黒竜リニアガン、黒竜ミサイル、黒竜重力弾などを搭載。人工知能も搭載しているが、反重力モーターの磁気によりすぐフリーズしてしまう。4本の腕(アーム)を備えており近接格闘戦も可能。ただし足は未装備。あくまで足は飾りであり、偉い人にはそれがわからないとは、技術者のコメント。このアイデアは『星方武侠アウトロースター』にグラップラーシップとして受け継がれた。“真なる太陽系”では2号機が製造され、魔法技術によるものか作動臨界問題が解決されている。
魔王号(まおうごう)
ブラスの乗る水平円柱型巨大宇宙戦艦。“テ・オ・カロア”と互角の能力を持つ混沌の精霊石“バ・ラム・アハウ”を搭載しており自我を持っているが、気位が高くブラス以外には従わない。最新鋭の戦艦を一撃で沈黙させる最新兵器“神罰砲(パニッシャー)”を搭載している。
聖闘士号(ガリバルディごう)
ガーランドの乗る太陽系警察の小型宇宙船。流線型のデザインで、星詠み号を上回る加速力を実現するエーテルリアクター・スーパーチャージャーを搭載している。主力兵器は聖縛砲(ホーリーブレッド)。
ミクロ ノミネー トップ ミゼラブ パビリ フルセッセ 南瓜 シナプス ブーツ ドミニ しんちょ じょうへん ビデア ころどこ ノーシード ククル シューズ ピリミジン レーシズム オーバ モチノキ ジョーンズ ティマイオ サファリジ ウイグル ストリ サーチ バーボ ダイパーズ 勿忘草 サイドス るじゅつ テキサス デビル ゴジラ しいたけ リスト きびざけ にしき パンハ ミラクル ジオラマ オートマト テディー ヒメウ シャツラ サニー ルーム フランベ 湾岸

用語集
クォーターメン
星詠み号に乗る十字、ロジャー、アゼル、ゴートの4人のこと。作中ではこの言葉は登場しない[10]。『キャプテン・フューチャー』シリーズのフューチャーメンのパロディ。
真なる太陽系
ロジャーの故郷で物語後半の舞台。パラレルワールドとされている。精霊に満ち、エーテルが存在する異世界の太陽系。惑星軌道は“こちらの世界”と変わらないが、第十惑星・占王星が存在し、占王星以外の全ての惑星が人類の居住できる環境である。ダイスで出た目で運命が決まるという、テーブルトークRPGのような馬鹿げた魔法もある。“こちらの世界”の現代科学を上回る技術がありながら、絶対的なカリスマを持った王族や空中に浮かんだ王都など中世的な文化が残っており、法(ロー)と混沌(カオス)、善と悪という図式で単純化された夢物語のような世界。火星と金星の王家はこの宇宙の理に深く関わっており、冥王星は刑務所になっている。小惑星帯(アステロイド・ベルト)は異常な高密度で、小惑星にも重力や空気があり、奥には宇宙鉱山や無法者の集うコロニー、宇宙サルガッソーなどがある。
秘星球(ひせいきゅう)
「やがて目覚めし時、契約を結ぶ者、精霊束ねる王となろう」と伝えられる火星古王朝最大の神秘。遥か太古、星々に精霊が宿った時、目覚めなかった最古の星の精霊がやがて宝玉となったもの。神話の産物と思われていたが60年前に発見された。聖王家が法と混沌の二極に分かれ、その力を巡って宝玉戦争を起こすことになる。ロジャーはこの戦争で活躍し英雄となった。50年前、ロジャーと共に“こちらの世界”に転送される。英語では“スターストーン”、神官語では“ルーハー”と言う[11]。
地球(バオル)
“真なる太陽系”では19世紀から“こちらの世界”と異なる歴史を歩み始める。トーテミズムによる新政府“アメリカ精霊連合王国(ユナイテッドキングダムオブトーテムズ、UKT)”が誕生し、燃素フロギストロン(フロギストン説をベースにした架空の物質)やエーテルの研究が進み、さらに呪符金属工業の発展により20世紀初頭には木星や土星に宇宙船が送られるようになった。日本はUKTの属州になっている。物語の舞台としては登場しない。
金星(シェキナー)
凶暴な金星ダコ(密林ダコ)やドラゴンのような生物の生息する密林や、混沌の勢力が要塞とする古王朝の遺跡、ナカザワードの王都などがある。金星人の特徴は、『ロードス島戦記』に登場するエルフのようなとがった長い耳。
火星(クロム)
“真なる太陽系”の謎に深く関わる火星古王朝の遺跡が残されている。ブラスの要塞やアシュアリーの王都がある。赤色人と呼ばれる赤い肌の民は火星の王家に特有のもの(火星の王家全てが赤色人という訳ではない)で、エドガー・ライス・バローズのSF小説『火星のプリンセス』のパロディである。
占王星(クラートゥ)
“真なる太陽系”の第十惑星。太古の精霊が眠っており、“真なる太陽系”の謎を解く重要な鍵である。聖王家が禁忌とする祭壇があり、ブラスはそこで何かを見、混沌に傾倒した。地球人は“フォーチュナ”と呼び、星詠み(フォーチュナー)号はこれにちなんで名付けられた。クラートゥの名前の由来は1951年のSF映画『地球の静止する日』の主人公で、秘密の呪文“Klaatu barada nikto.(クラートゥ・バラダ・ニクタ)”も登場する。
聖王家
古王朝の末裔にして太古より封印された秘儀を守る、火星と金星の十九王家。宝玉戦争の際、星海王ブラス率いる混沌の十二王家と栄光王アシュアリー率いる法の七王家に分裂し、混沌の8神官と、メイナードを含む法の数王家が滅亡した。地球人の数倍から十数倍の長い寿命を持ち、絶対的なカリスマで民衆を扇動する。かつては二十王家であったが、遥か昔に占王星の禁忌に触れた一王家が滅ぼされたとされている。
十二神官
混沌の十二王家から選ばれた、強力な魔力を持つ12人の司祭(ビショップ)。一人で一軍に匹敵すると言われている。宝玉戦争で8人が死亡。アーク、ハドゥル、ウルトと、異世界での任務に就いていたゾハルの4人が生き残った。ブラスへの忠誠心は絶対。
火星古王朝(ウ・ウク・ソウン)
3万年前に存在した火星の王朝。金星にも同様に古王朝が存在した。聖王家はこれら古王朝の末裔である。いくつかの遺跡が残され、聖王家に秘儀が伝承されている。ブラスは遺跡の一部を要塞とし、太古の精霊の封印を解く鍵があるとされている遺跡の謎を探っている。
聖ホルト
善悪を越えた存在にして法と混沌の調停者。小惑星帯の奥の小惑星から太陽系を見守る。ロジャーに“テ・オ・カロア”を、ブラスに“バ・ラム・アハウ”を与えた。実はその名前には情報処理系の用語の“HALT”が意図されている。
精霊石
エーテルを感知する力があるため、超流体駆動機(エーテルリアクター)の要として宇宙船に搭載される、霊力を秘めた鉱石。精霊砲の魔法力源としても利用される。意志を持っているのは、星詠み号の“テ・オ・カロア”と魔王号の“バ・ラム・アハウ”のみ。ちなみに、宇宙船が涙滴型など流線型の形状をしているのは、エーテルに対する抵抗を軽減するためである。
呪唱銃(スペルガン)
“真なる太陽系”ではメジャーな武器で、十字も使用する。魔法を装填して発射することができる拳銃のような武器。基本的な攻撃魔法なら何でもチャージできるが、チャージした魔法を使い切ると儀式装填(インダクト)で再装填する必要がある。儀式装填に時間がかかるのが欠点で、十字はこれを「しち面倒くさい弾込め」と言った。『星方武侠アウトロースター』に登場する“古式銃(キャスター)”の原型である。
精霊砲(アーソナーガン)
精霊の力で量子レベルの全ての運動を制御する、別名マクスウェルの悪魔砲。力場が曲がり、障害物を回避しながら目標を追跡する。180度後方の目標に発射することも可能。星詠み号の主力兵器で、王国宇宙軍の宇宙船にも搭載されている。星詠み号の物は本気で使うと月をも吹き飛ばす威力。
星雲雀(すたーらーく)
「全てのものに食(ショク)を与えん」をスローガンに、営業可能な星系を求めて宇宙を彷徨う機動外食産業で、一時期十字がバイクの修理費を稼ぐ為にバイトをしていた。一言で言えば宇宙規模のレストランチェーンで、ゴートはその支店長として55億年前に製造された。他にも何兆という支店が生み出されたが、ゴートは他の支店や本社と連絡を取る事ができない。本社一号店は137億年前のビッグバンの際に滅びたとも言われる伝説の存在。いわゆるスペースオペラ的なSFガジェットで、技術考証などは全く語られない。ファミリーレストランチェーンのすかいらーく[12]と、E・E・スミスのSF小説『宇宙のスカイラーク』をひっかけたパロディであり、設定的にはフレッド・セイバーヘーゲンの「全ての生命に死を与える」無人機械兵器『バーサーカー』が元。
私立恒星高校(しりつこうせいこうこう)
グリフィス財団旗下の私立学校法人。十字や咲美達の通う高校で物語前半の舞台。住所は東京都中野区茅古町1-1-1。グラウンドに星詠み号が封印されている。ロジャーが創立した、海外に三つの分校を持ち大学並の施設を所持する。全校生徒、全教員がハイテンションでお祭り好き。騒動があれば報道部や映画研究会が駆けつけ、話が脱線すると演劇部が盛り上げ、面白いという理由で十字に付きまとい、女生徒たちは「物語はヒロインを交えて盛り上がるべき」としてヒロインの座を射止めるべく十字にアプローチをかけ、更に戦闘時にはサバイバル研究会が戦術を担当する。星詠み号はもちろん、魔女や宇宙ロボットの襲来にも動じないなど、順応性、適応力は脅威的。
聖エルザ学園(セントエルザがくえん)
本作が実は伊東岳彦が挿絵を担当し、漫画も描いた『聖エルザクルセイダーズ』と同じ世界の出来事の為に友情出場した。日本最古のミッション系学園で、『聖エルザクルセイダーズ』では共学になったが本作では女子校のまま(“聖エルザ事件”は本作の1年前の出来事の時間設定)である。恒星高校へ昼休みに遊びに来られる程度の距離にあり、『聖エルザクルセイダーズ』に登場する白雪和子がゲスト出演する。咲美は聖エルザ中等部出身で、そのためか非常に信心深い。
SCEBAI
同じ世界に存在する、笹本祐一の小説『ARIEL』に登場する、もう一つの巨大な力の筈の「国立科学研究所」。本作中で富士樹海中に秘匿されていた本組織はある事件に因り壊滅した。

コミックス
ホーム社漫画文庫ディレクターズカット版
第1巻 2003年11月23日刊行 ISBN 4-8342-7284-2  解説:介錯
巻末にはパイロット版「数多の星より大切な…」収録されている。
第2巻 2003年11月23日刊行 ISBN 4-8342-7285-0  解説:堺三保
第3巻 2003年12月17日刊行 ISBN 4-8342-7286-9  解説:萩原一至
第4巻 2003年12月17日刊行 ISBN 4-8342-7287-7  解説:唯登詩樹
第5巻 2004年1月21日刊行 ISBN 4-8342-7288-5  解説:上遠野浩平
巻末にはアゼルの後日譚「AZELL RETURN OF THE FUTURE-RETRO HERO STORY」収録されている。
海外での展開
集英社ホームコミックス版では台湾の大然出版が集英社から正式に認可を受け繁体字中国語版を出版しており、単行本は同じタイトルで全8巻刊行されたか、出版社の倒産より今はすべて廃版された。

2009年02月08日

東ティモール民主共和国

東ティモール民主共和国(ひがしティモールみんしゅきょうわこく)、通称東ティモールは、アジア(東南アジア)地域の島国。1999年8月30日、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、2002年5月20日独立した。国際法上はポルトガルから独立したことになる。21世紀最初の独立国。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領である。
正式名称は、Republika Demokratika Timor Lorosa'e (テトゥン語: レプブリカ・デモクラティカ・ティモール・ロロサエ)、República Democrática de Timor-Leste (ポルトガル語:レプブリカ・ドゥムクラティカ・ドゥ・ティモール・レスト)。略称は、Timor Lorosa'e (テトゥン語)、Timor-Leste (ポルトガル語)。

公式の英語表記は、Democratic Republic of Timor-Leste、略称は、East Timor。

日本語の表記は、東ティモール民主共和国。通称、東ティモール。ティモールの部分は、チモールとも表記される(近年では”ティモール”の表記が一般的である)。ちなみに、現地の発音は、「ティ」と「チ」の中間音。

国名は、「ティモール島の東部」という意味である。「ティモール」は、マレー語・インドネシア語で「東」を意味する。テトゥン語の「ロロ」は「太陽」、「サエ」は「出る」、「ロロサエ」は「日の出」またはその方角(すなわち「東」)を意味する。ポルトガル語の「レステ」も「東」を意味する単語。

歴史

ポルトガル植民地
ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化された。その後オランダが進出し、一時はポルトガルがこれを撃退したが、1859年に西ティモールをオランダ領として割譲し、ティモール島は東西に分割された。

ポルトガルが中立を守った第二次世界大戦時には、オランダ領東インド地域と合わせて日本軍が占領したが、日本の敗戦によりオーストラリア軍の進駐を経てポルトガル総督府の支配が復活し、1949年にインドネシアの一部として西ティモールの独立が確定した後もポルトガルによる支配が継続した。これに対し、人口の中で圧倒的多数を占める地元住民は独立志向を強めたが、アントニオ・サラザール首相などのエスタド・ノヴォ体制により抑圧された。

1974年にポルトガルで左派を中心としたカーネーション革命が起こり、植民地の維持を強く主張した従来の保守独裁体制が崩壊すると、東ティモールでも独立への動きが加速し、マルクス主義色の強いフレティリン(東ティモール独立革命戦線)がその中心となった。この動きは、東ティモールの領有権を主張し、反共主義を国是とするインドネシアのスハルト政権にとっては容認できず、反フレティリンの右派勢力を通じた介入を強化した。

インドネシア占領
インドネシアからの独立デモ1975年、右派勢力と連携したインドネシア軍が西ティモールから侵攻を開始する中、11月28日にフレティリンが首都ディリで東ティモール民主共和国の独立宣言を行った。しかし、直後にインドネシアが東ティモール全土を制圧し、1976年に27番目の州として併合宣言を行った。国連総会ではこの侵略と不法占領を非難する決議が直ちに採択されたが、米・欧・豪・日など西側の有力諸国は反共の立場をとるインドネシアとの関係を重視し、併合を事実上黙認した。

スハルト政権は東ティモールの抵抗に対し激しい弾圧を加えたため、特に侵略直後から1980年代までに多くの人々が虐殺や飢餓により命を落とした。インドネシア占領下で命を失った東ティモール人は20万人にのぼると言われている。1991年、平和的なデモ隊にインドネシア軍が無差別発砲し、400人近くを殺したサンタクルズ事件は、住民の大量虐殺事件として世界的に知られることになった。また、官吏や教員などを派遣して徹底した「インドネシア化」も推進した。フレティリンの軍事部門であるファリンテルは民族抵抗革命評議会 (CRRN) の主要メンバーとなり、シャナナ・グスマンが議長になったが、インドネシア政府はグスマンを逮捕し、抵抗運動を抑え込んだ。その一方で、1996年にはノーベル平和賞が現地カトリック教会のベロ司教及び独立運動家のジョゼ・ラモス=ホルタに贈られた。

1998年にインドネシアでの民主化運動でスハルト政権が崩壊すると、後任のハビビ大統領は東ティモールに関し特別自治権の付与を問う住民投票を実施する事で旧宗主国のポルトガルと同意した。

国連の暫定統治と独立後の平和構築活動
1999年8月30日に国連 (UNAMET) の監督のもとで住民投票が行われ、特別自治権提案が拒否された事で独立が事実上決定したが、これに反発するインドネシア治安当局は、インドネシア併合維持派の武装勢力(民兵)を使って破壊と虐殺を行い、それがほぼ終了した段階で、多国籍軍(東ティモール国際軍)が派遣された(東ティモール紛争)。その結果、暴力行為は収拾したが、多くの難民が西ティモールに逃れ、あるいは強制的に連れ去られたりした。1999年10月には、国連東ティモール暫定統治機構 (UNTAET) が設立、2002年まで独立を率いた。

その後の制憲議会選挙ではフレティリンが圧勝し、大統領にはシャナナ・グスマン、首相にはマリ・アルカティリが選出され、2002年5月20日に独立式典を行った。独立後、国連は国連東ティモール支援団 (UNMISET) を設立、独立後の国造りの支援を行った。この中で、日本の自衛隊も国連平和維持活動 (PKO) として派遣され、国連と協力して活動を行った。2005年には、国連の平和構築ミッション、UNOTIL(国連東ティモール事務所)が設立されたが、2006年の暴動を受け、同年8月には国連東ティモール統合ミッション (UN Integrated Mission in Timor-Leste:UNMIT) が設立。平和構築ミッションから、再び、平和維持活動へと逆戻りした。

独立後の混乱
2006年4月に西部出身の軍人約600人が昇級や給料で東部出身者との間で差別があるとして待遇改善と差別の廃止を求め抗議し、ストライキを起こしたが、政府はスト参加者全員を解雇した(国軍は2000人ほどしかいない)。これを不服とした参加者側が5月下旬に蜂起、国軍との間で戦闘が勃発した。ところが、鎮圧に赴いた警察や国軍の一部がスト参加者に同調して反旗を翻し、警察署を襲撃して死者が出たため、怯えた警察官が職務放棄。また若者を中心に暴徒化してディリは混乱した。治安維持が不可能となった政府は5月24日にオーストラリア・マレーシア・ニュージーランド・ポルトガルに治安維持軍の派遣を要請し、翌日には東ティモールへの利権を確保することを意図したオーストラリア軍が早速展開し、その後4カ国による治安維持が行われた。

この背景として東部住民と西部住民の軋轢や、若者の失業率の高さが挙げられている。また、アルカティリ首相の独善的姿勢や国連の活動終了が早すぎた可能性も指摘されている。

オーストラリア軍は反乱軍を指揮する少佐と接触し、少佐の武装解除命令によって6月半ばに蜂起は終結したが、暴徒の方は反政府デモとなり、グスマン大統領の忠告によって、アルカティリ首相は辞任に追い込まれた。ディリは半ば戦場と化し、住民のほとんどは難民となって郊外へ脱出した。治安維持軍によって年内に暴動は鎮圧されたが、オーストラリア政府の支援による警察の再建など、治安の回復には時間がかかると思われる。

2007年1月13日、フランスと共に東南アジア友好協力条約 (TAC) に締結した。この条約は東南アジア諸国連合加盟と東アジアサミット参加への条件とされており、締結国間の主権尊重と内政不干渉、紛争の平和的解決を謳うものである。東ティモールは2007年内のASEAN加盟を目指している。

2007年8月8日、与党フレティリンが下野し、グスマン連立政権発足の前後より、フレティリンの熱狂的な支持者が暴徒化し、首都ディリなどで民家などへの放火や投石が多発している。また、8月10日には、東部のバウカウ県では、幸い負傷者はなかったが、国連平和維持活動に携わる国連警察の車列が、発砲を受け車両1台が燃やされた。ビケケ県では子供1人が暴動に巻き込まれ死亡。数日の間に100名以上の逮捕者が出た。バウカウ・ビケケ両県は、フレティリン支持者が多い。8月12日には、国連警察、東ティモール警察、多国籍治安部隊(主に豪軍)、東ティモール国軍により暴動は沈静化した。

2008年2月11日、ラモス=ホルタ大統領やグスマオ首相が2006年の国軍反乱以降に反政府勢力となったアルフレド・レイナド少佐指揮の武装集団に襲撃された。この際にレイナドは死亡し、ラモス=ホルタは重傷を負ったがオーストラリアの病院での治療により一命を取り留めた。

政治
国会議事堂国家元首の大統領は、主として象徴的な役割を果たすにすぎないが、立法に対する拒否権をもつ。国民の選挙によって選ばれ、任期は5年。行政府の長である首相は、議会での選出後、大統領が任命する。現在は第2代大統領のジョゼ・ラモス=ホルタが1期目を務めている。

立法府は、一院制の国民議会で、定数は、52以上65以下の範囲で法律によって定められる。現在は65。

ただし、第1期のみは特例として88議席。議員は、国民の選挙によって選出され、任期は5年。2007年6月30日に行われた選挙では、東ティモール独立革命戦線(フレティリン)が21議席、東ティモール再建国民会議 (CNRT) が18議席、ティモール社会民主連合と社会民主党の統一連合が11議席、民主党が8議席、他に3つの政党・統一連合が計7議席を獲得し、東ティモール再建国民会議を中心とする反フレティリン連立政権樹立が合意された。東ティモールの政党も参照のこと。

独立後のフレティリンは左派色を薄め、資本主義国との関係を重視している。独立直後の2002年7月にはポルトガル語諸国共同体に加盟している。また、インドネシアとの外交関係の安定も志向し、東南アジア諸国連合 (ASEAN) へのオブザーバー資格獲得や正式加盟も模索しているが、独立戦争以来の諸問題の解決が多く残り、経済的な格差も大きいため、まだ正式な加盟交渉には至っていない。

2006年6月23日、シャナナ・グスマン大統領から辞任を求められていたアルカティリ首相が辞任を表明した。26日、アルカティリ首相は、グスマン大統領に正式に辞表を提出、受理された。首相が首都ディリ市内の公邸で辞任表明を読み上げると、市民は歓迎し、騒乱の収拾・事態正常化への期待を高めた。7月8日、グスマン大統領は、前首相の後任にノーベル平和賞受賞者のジョゼ・ラモス=ホルタ前外相兼国防相 (56) を任命した。前首相の与党のフレティリンが推したダ・シルバ農相を第一副首相に、デ・アラウジョ保健相を第二副首相に起用する。

2006年7月14日、ホルタ内閣の就任宣誓式が、首都ディリで行われ、同内閣が正式に発足した。14閣僚のうち6人が新任で、残りの6人は前内閣からの再任である。国防相は、ホルタ首相自身が務める。ホルタ首相の任期は来年5月の総選挙まで。ホルタ首相は施政方針演説で、アジアの最貧国である東ティモールの経済をインフラ建設などを通じ底上げし、復興を目指すと表明した。

2007年4月9日、東ティモール大統領選挙が行われた。これは、2002年独立以後初めての国政選挙となった。登録有権者数は約52万人。独立運動指導者でノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタ首相(グスマン大統領(当時)に支持されている)、旧与党・東ティモール独立革命戦線(フレティリン)のフランシスコ・グテレス(通称ル・オロ)国会議長、野党・民主党のフェルナンド・ラマサ党首ら8人が立候補したが、4月18日、選挙管理委員会は過半数を得た候補がいなかったとして、1位のグテレスと2位のホルタ両候補による決選投票を実施すると発表した。得票率はそれぞれ27.89%、21.81%で、投票率は81.79%だった。5月9日、決選投票が行われ、即日開票作業が行われた。そして、ラモス・ホルタが制し、5月20日に第2代大統領に就任した。

2007年6月30日に行われた議会選挙では、グスマン党首率いる東ティモール再建国民会議 (CNRT) が18議席を獲得し、議会第2党に躍進。東ティモール独立革命戦線は、かろうじて第1党であったが、65議席中21議席と大幅に議席を減らした。これは前大統領シャナナ・グスマンがCNRTを結成して選挙に挑んだからにほかならない。ラモス・ホルタ大統領は、与野党による挙国一致内閣を目指したが、フレティリンのマリ・アルカティリ書記長は、これに異を唱えた。一旦はその考えを受け入れたが、CNRT率いる野党連合とフレティリンは、何週間も論争を繰り返したが合意には至らなかった。これにより、ラモス・ホルタ大統領は、反フレティリン野党連合(37議席)による連立政権を組閣することを決断。8月6日にグスマン党首を首相に指名し組閣を指示、8月8日にグスマンは首相に就任した。これに対して、首相は第1党から出すと定めた東ティモールの憲法に違反するとして、アルカティリが法的手段で闘うと述べ、首相就任宣誓式出席をボイコット、フレティリンはラモス・ホルタ大統領の決定を非難した。そのうえ、議長もフレティリンではなく、連立を組んだ民主党のアラウジョ党首が就任した。しかし、連立政権は反フレティリンで一致しているだけで、初代大統領として国の混乱を招いた責任は免れないというグスマンへの個人批判を述べるものもいるという側面もある。連立政権はCNRT、社会民主党、民主党等4党。副首相にグテレス。外相に社会民主党幹部のダコスタ。なお、グテレスはフレティリン反主流派。議会選挙では「フレティリン改革派」を組織し、CNRT支援に回った。

地方行政

東ティモールの地図全13県。国土の北部沿岸を中心とするディリ地方、島の東端部のバウカウ地方、国土の中央部のサメ地方、西ティモールとの境界線付近のマリアナ地方、そして、西ティモール内の飛び地であるオエクシ地方に大きくグループ分けされる。

ディリ地方
ディリ県、マナトゥト県、リキシャ県
バウカウ地方
バウカウ県、ビケケ県、ラウテン県
サメ地方
アイナロ県、アイレウ県、マヌファヒ県
マリアナ地方
エルメラ県、コバリマ県、ボブナロ県
オエクシ地方
オエクシ県

地理
環太平洋火山帯(環太平洋造山帯)の一部であり、全土の約6割は山岳地帯となっている。最高峰は2963mのラメラウ山(タタマイラウ山)。高温多湿の熱帯性気候下にある。

経済
ポルトガル領時代は、アンゴラやモザンビーク等の他の植民地同様、工業化が全く進まず、自給自足的な農業に依存した貧困状態だった。インドネシアによる統治が始まると社会資本の整備が緩やかに進んだが、1999年の住民投票で独立支持派が勝利するとインドネシア併合維持派の民兵が首都ディリを破壊し、経済は壊滅状態に陥った。元々、独立するも産業基盤が極めて脆弱であり、前途は多難とみられる。

その後、日本を含む外国政府や国際機関などの支援で徐々に経済復興が進んでいるが、独立後の東ティモール政府も歳入の多くを隣国のオーストラリアなどの外国からの援助に依存しており、経済の自立化はまだこれからである。世界銀行では東ティモール向けの信託基金を設立している。

農業がGDPの約4分の1を占めており、米やトウモロコシ、コーヒー豆などが生産されている。

なお、南方海域には海底油田があり、将来の経済発展の核として期待されている。隣国で、東ティモールへの影響力を獲得しようとしているオーストラリアとの境界線確定が課題だが、東ティモール側はインドネシア政府が結んだ境界線の見直しを求め、交渉は難航している。

国民
住民はメラネシア人が大部分である。その他華人、インド系移民、ハーフカスト(ポルトガル人とメラネシア人の混血)などがいる。

言語はテトゥン語とポルトガル語が公用語である。その他、インドネシア語、英語が使われている。なお、東ティモールの言語状況も参照されたい。

宗教はキリスト教が99.1%(その大半がローマ・カトリック、他にプロテスタント諸派)、イスラム教が0.7%、その他ヒンドゥー教、仏教、アニミズムなどとなっている。インドネシア統治時代の1992年推計ではイスラム教徒が人口の4%を占めていたとされるが、独立によりインドネシア政府の公務員などが東ティモールから退去し、イスラム教徒の比率は大幅に低下した。一方、独立運動を精神面で支え続けたカトリック教会への信頼は高まった。

2009年01月23日

サイキョー流の一番弟子

ダン
隠しキャラ。サイキョー流の一番弟子として、さくらをスカウトしようとする。『スーパーパズルファイターIIX』での性能を反映してか、ガードクラッシュ以外の攻撃を当てた際にでるジェムの色は赤のみとなっている。カラオケが趣味ということもあって、コスプレはすべて歌手のものとなっている。ガードクラッシュやマイティコンボでは父親で今は亡き火引 強(ゴウ)の幽霊を呼び出すこともでき、「殉哭殺」という3ゲージ消費マイティコンボもあるが、技自体は豪鬼の瞬獄殺のパロディで、背景の文字は「天」ではなく「父」である。当たり判定の弱い技、隙の多い技が多く、他のキャラより見劣りする部分も多いが、決して勝てないわけではない。家庭用では新マイティコンボ「真・晃龍拳」も追加されている。
このゲームでもダンは何度でも挑発が出来るが、ダン以外の全員も一試合に16回まで挑発を出せる。そのため、ダンの魅力の一つである挑発の影が薄くなりがちだが、マイティコンボ「挑発伝説」は他のシリーズ以上の演出時間の長さで、このゲームの特徴であるコミカルさを活かした挑発を堪能できる。
初期装備のアイテム玉はバナナ。
豪鬼
隠しキャラ。「極園島」というレジャーランドとして再開発されることになった獄炎島を離れ、新しい修行場を探す旅をしている。ほかのゲーム同様強力なキャラクター性能を誇る。真面目な技とそうでない技の落差が激しく、殺意の波動で相手を燃やすかと思えば、大工職人になったり海パン一丁になったり『ウォーザード』のレオに変身したりと、他のゲームでは決して見ることの出来ないコミカルな豪鬼を堪能できる。もともと口数の少ない豪鬼の声を頻繁に聞けるのも、このゲームならでは。マイティコンボ「瞬獄殺」は簡易コマンドで入力するといつものように画面が真っ白になるだけだが、原作風コマンド(PP→KS)で出すと攻撃中の豪鬼をみることができる(ただし内容はコミカル)。
初期装備のアイテム玉は毒。

ステージ
本作のステージは様々なカプコンキャラクターが登場し、このゲームを語る上で欠かせないものになっている。

酒場:BAR「マキシマム」
ディージェイとジューンが経営している酒場。エドモンド本田やキャミィのほか、ガイルやナッシュといった様々なストリートファイターシリーズのキャラクターが試合を観戦している。フェリシアの最終ステージ。
おもちゃ屋:おもちゃ屋「ダルシーム」
その名のとおり、ダルシムがモチーフとなっているおもちゃ屋。ガロンを銃で脅しているバレッタ、おもちゃをねだる赤ちゃんキャミィと必死で断るベガ、春麗フィギュアに見入るバイソン、迷子のアニタとそれを捜すドノヴァン等様々なシチュエーションが満載である。ちなみにダルシムは登場しない。いぶき、ケンの最終ステージ。
スキー場:スキーリゾート「La Menkoi」
スキー場が舞台のステージ。スノーボードを楽しむユン・ヤン兄弟やソリを満面の笑顔で楽しむベガ、かまくらのなかでもちを食べているソドムとビシャモン等リゾートを満喫しているキャラクターが多い。レイレイの最終ステージ。
アマゾン:貸し浮き輪屋「サフリル」
ブラジルのステージ。ブランカが経営している貸し浮き輪屋が舞台。ステージの雰囲気は『ストリートファイターII』のブラジルステージに類似している。ブランカをはじめ『ストII』のブラジルステージにも登場したカメラ男、ダルシム・サリー・コダル(象)のダルシム一家、かき氷を食べているエレナ等にぎやかなステージ。後ろの方には寝釈迦像が建っている。春麗、さくらの最終ステージ。
中華街:元飯店大繁盛
中国のステージ。元が経営している中華料理店が舞台。元の他にフェイロン、ビクトル、ベガ、ソドム、バーディー、ガイ等濃いキャラクターが多数登場する。モリガン、ダンの最終ステージ。
タバサの部屋:天才隠遁部屋
ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

『ウォーザード』に登場する北国、アイスラーンにあるタバサの自宅が舞台。フェリシア、レオやリリスといったキャラクターが思い思いにくつろいでいる。背景に登場するフェリシアとリリスは、プレイヤーキャラクターとして登場する場合は、ステージからいなくなる(リリスはモリガン使用時)。キャラクターの数は他のステージより少なめ。リュウの最終ステージ。
マカイ外:ムーンライトダークキャッスル
魔界が舞台のステージ。巨大な満月に向かってガロンが吼えている。登場キャラクターが最も少ないステージ。タバサ、豪鬼の最終ステージ。
マカイ中:魔王の引っ越し
魔界にあるデミトリの新居。床上をデミトリが滑ってたり女体化したジェダがいたりとやりたい放題なステージ。ザンギエフの最終ステージ。
ランニングバトル
PS版・SS版にのみ登場した「ランニングバトル」モードの専用ステージ。「ランニングバトル」は『ストリートファイターZERO』シリーズなどの「サバイバルバトル」同様に体力ゲージ1本でどれだけの相手を倒せるか競うモードであるが、横に長く続く砂漠の廃墟を敵を倒しながら進む形になっている。『ブレス オブ ファイアIII』や『QUIZなないろDREAMS 虹色町の奇跡』、『ロックマンDASH』など格闘ゲーム以外のカプコン作品のキャラクターが集っている。

その他
パチンコ機『CRフィーバーストII』では本作に登場したリュウ、ケン、春麗、ザンギエフが登場し、それ以外のキャラクターもディフォルメされて登場している。他に、このパチンコ機のTVゲーム『FEVER4 SANKYO公式パチンコシミュレーション』PS版にも同じキャラクターが起用されている。
カプコンの携帯電話向けサイト『カプコンパーティ』では、本作のデフォルメキャラクターを使用したアプリゲームがいくつか配信されている。
『NAMCO x CAPCOM』では、このゲームのシステムである「フラッシュコンボ」がシルフィーの必殺技として起用されており、本作のようにシルフィーがコスプレ変身して攻撃する。また、ストーリー中の背景画像として「マカイ外:ムーンライトダークキャッスル」も使用されている。